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五・七・五の十七音からなる俳句は、世界で最も短い詩といわています。
鎌倉は江戸時代から詩歌の名所として俳句に詠まれ、明治中頃に俳句革新を提唱した正岡子規(まさおかしき)、そして夏目漱石も鎌倉を訪れ俳句に詠みました。
子規に兄事し、明治43年から鎌倉に移り住んだ高浜虚子(たかはまきょし)は俳句雑誌「ホトトギス」を発展させ、大正から昭和にわたり俳句界の中心として活躍します。虚子のもとには松本たかし、芥川龍之介ら俳人や文人が集いました。
そして、昭和初期には虚子の次女で初の女性誌「玉藻(たまも)」を主宰した星野立子(ほしのたつこ)、20年には「鶴」の同人で後に主宰となる石塚友二(いしづかともじ)、後に「日矢(ひや)」を主宰する清水基吉(しみずもとよし)らが鎌倉で活動をはじめます。また、五・七・五の定形と季語にとらわれない自由律俳句をとなえた荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)もこの頃鎌倉に移りました。さらに、鎌倉文士と呼ばれた久米正雄、久保田万太郎は俳人としても活躍。彼らが中心となり盛んに句会がひらかれ、永井龍男や吉屋信子ら文士たちが俳句を楽しみました。
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