| 鎌倉文学館の本館と広大な敷地は、加賀百万石の藩主で知られる前田利家の系譜、旧前田侯爵家の別邸でした。昭和60年、鎌倉文学館は鎌倉ゆかりの文学者の著書・原稿・愛用品などの文学資料を収集保存し、展示することを目的として開館しました。 |
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| T 前田侯爵家別邸の歴史 |
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| 前田家の別邸は、明治23年頃、第15代当主の前田利嗣氏が土地を手に入れ、和風建築の館を建てたことにはじまります。この館は明治25年、「涛(なみ)」を「聴」く「聴涛山荘」と命名されました。明治43年、「聴涛山荘」は類焼により焼失し、洋風に再建されます。大正12年、関東大震災で倒壊し、後に建て直されます。新しい別邸は、鎌倉時代、長楽寺があったことから「長楽山荘」と名付けられました。さらに、第16代当主の前田利為氏が改築し、昭和11年、今に残る洋館が完成します。 |
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第二次世界大戦後、デンマーク公使や佐藤栄作元首相が別邸を借り、別荘として使用していたこともあります。佐藤氏は別邸の近くに住んでいた川端康成と交流を深めました。その時代に、鎌倉文士の小林秀雄や永井龍男もここを訪れています。
さらに、三島由紀夫は執筆のために別邸を取材し、小説「春の雪」にこのように描きました。
「青葉に包まれた迂路を登りつくしたところに、別荘の大きな石組みの門があらわれる。(中略)先代が建てた茅(かや)葺(ぶ)きの家は数年前に焼亡し、現侯爵はただちにそのあとへ和洋折衷の、十二の客室のある邸を建て、テラスから南へひらく庭全体を西洋風の庭園に改めた。」
「春の雪」より 『決定版三島由紀夫全集』13 新潮社 |
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| U 鎌倉文学館の設立について |
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| 昭和50年、鎌倉市内の有志により、鎌倉の文学を研究する「鎌倉文学史話会」が発足。史話会は、文学館を設立のため、様々な活動を行いました。昭和56年、鎌倉市は文学館の建設の検討をはじめ、作家の里見クや、今日出海、小林秀雄、永井龍男、清水基吉らによる「文学館建設懇話会」を発足させます。昭和58年、旧前田侯爵家別邸が鎌倉市へ寄贈され、文学館として利用されることが決定しました。 |
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| 昭和60年10月31日、鎌倉文学館開館記念式典が行なわれました。初代館長の永井龍男は、「文学、文学と肩ひじをはらずに来ていただいて、興味をひいたら、ついでに展示物を見ていただき、研究という大げさだが、文学というものをご自分の生活に消化して身につける。これが文学の味わいの根本だと思う。」とあいさつしました。11月1日、鎌倉文学館は、一般公開されました。現在、多くの文学資料を収蔵し、常設展や、企画展をはじめ様々な活動を行っています。 |
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前田侯爵家別邸
昭和11年
アプローチからみた別邸 |
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